どら焼きの名は一般に、形が打楽器のどらに似ることからついたという説が有力である。 しかし、異説として次のようなものもある。
曰く、武蔵坊弁慶が手傷を負った際、民家にて治療を受けた。
この他にも様々な異説俗説があり、現在どれが正解かは一概に言えない状況にある。 ただ、いずれの説にしても、銅鑼に関係している物が多いようである。
江戸時代のどら焼きは、皮を一枚だけ用い、端の部分を折りたたんだため四角く、片面の中央はあんこがむき出しであったという。現在のきんつばに良く似たものと考えられる。
いま日本で売られているどら焼きの生地は、西洋の ホットケーキ の強い影響を受けて、江戸時代以前のものからはかけ離れている。 このため昭和20年代頃まで、どら焼きと ホットケーキ は混同されがちであった。
一般的には餡を円盤型の生地2枚ではさむ形だが、それとは違う形でどら焼きと称する例もある。
京都市の東寺の弘法市の際、笹屋伊織 が販売するものは、
富山県では、薄めの皮で餡をぐるっと包んだ長方形のどら焼きを、ななめに カット し三角形にした「三角どらやき」 というのがある
また、生地を半分に折りたたんで餡をはさむといったものもある
波型の千寿せんべいで有名な京都市に本社を置く和菓子の製造販売をする鼓月では、皮を波型にしたどら焼きがある 他にも、どら焼きの皮が ハート型 やねこ型 のものもある。
どら焼きの具 基本的に小豆餡が使われているが、栗・餅などが入っている事もある。甘納豆入りのどら焼きもある。
変わり種として、大分県湯布院の名物で プリン を挟んだ「ぷりんどらや、フルーツ が メイン の「フルーツ どら焼きや、パフェ がそのままどら焼きの中に入ったような ボリューム のあるどら焼き「ぱふぇどら、惣菜どら焼きなどがある。